日本の港と朝鮮戦争


平成22年6月25日は朝鮮戦争60周年でした。

朝鮮戦争は、日本では「特需」との関連で語られることが多く、戦争自体にはそれほど関係はなかったとされています。でも、日本各地の「港」という現場はまさに実戦でした。有名映画の台詞を借りれば…

「事件は会議室で起きているんじゃない!!現場で起きているんだ!!!」

ということで、今回は朝鮮戦争時の日本各地の港の動きを追ってみたいと思います。

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昭和25年6月26日、北朝鮮軍の韓国侵入により朝鮮戦争が勃発します。

当時の日本は「占領国日本」、連合国軍により占領下にありました。日本独自の軍備は廃止され,米軍を中心とした連合国軍が駐留していました。

当時、日本駐留の米軍部隊は、終戦直後の約40万人をピークにして順次削減され、昭和25年時点では約11万人となっていました。
 軍部隊が縮小傾向にあったため,後方支援司令部も設置されず、兵器の修理専門工場も置かれていなかったそうです。

朝鮮半島を間に自由主義陣営と共産主義陣営の対立が深まる中,日本防衛に不安を感じた米国当局は、1949年(昭和24年)に軍事海上輸送隊を設置します。世界各地に司令部が設置され東京にも50年(昭和25年)7月1日に司令部が設置される予定でした。


そんな状況で朝鮮戦争が始まります。

米軍は韓国救援のために朝鮮半島に部隊を派遣しようとしますが、ここで問題が生じます。それは…

部隊を輸送するための船が足りない!!!

ことでした。設置予定の軍事海上輸送隊の東京司令部が管理している船舶は500トンクラスの貨物船10隻、100名規模の沿岸輸送船2隻,lst6隻のみでした。日本駐留の11万人を運ぶにも足りませんし,米国本土から来る部隊を朝鮮半島に運ぶこともできません。
 そこで、連合軍当局は日本の船舶を使うことにしたのです。

※こちらの動画は secondbasket さんの投稿です。ありがとうございます。


若き将軍の朝鮮戦争 - 白善ヨップ回顧録←動画にも登場します。

※同上


ここで少し時間を戻します。

日本の船がどのように管理されていたかを戦時中から見ることにします。

政府の船舶管理は大東亜戦争(米国側呼称:太平洋戦争)から本格的に始まります。政府は戦時統制の一貫として商船の一元管理を行うための「船舶運営会」を設立、同会が窓口となって船舶管理が行われました。

 終戦後,連合軍当局は日本の全船舶の停船と移動禁止を命じます。その後、国内輸送や海外駐留の日本軍部隊の日本帰還のために船舶の利用が許されます。その際の船舶管理に前述の船舶運営会が再度活用されることになりました。
 
 船舶運営会はその後,民間商船委員会、商船管理委員会に改組され業務を行ないます。その間にも順次、商船は民間に移管され、昭和25年4月には船舶は民間管理に移行していました。
 
 他方で港湾に関する法制度も大きく変わりました。昭和25年には港湾法と旧軍港市転換法が成立します。港湾法は、港湾管理を基本的に地方移管することを目的にし,旧軍港市転換法は横須賀などの軍港を「平和産業」の集積地にすることを目的にしていました。ただ、軍港に関しては当面、連合軍当局が接収を続けていました。その後、順次接収解除となり、企業進出が図られました。

戦時商船隊
戦時標準船入門

米軍は船が足りない、日本政府も管理している船は殆ど無い、軍港も少ないことがわかりました。そこで次は実際に船が行き来する場所、「港湾」の状況についてです。

終戦当時の日本の主要港は壊滅状態、その処理能力は無きに等しいものでした。港湾の処理能力を落としたのは…

・空襲等の戦災(米軍は当然狙ってきます)
・人材不足で港湾の保守管理ができなかった(要員が戦地に派遣)
・港内に沈没船がある(航行に支障がでます)
・機雷があった

ことが原因でした。昭和23年頃には沈没船の撤去、掃海部隊による主要港の機雷掃海により港も使えるようになってきていました。

←掃海部隊の歴史

そして、朝鮮戦争時の日本の港に話題を移します。ここで取り上げるのは横浜・神戸・北九州・下関・門司・博多の商港、横須賀・呉・佐世保の軍港です。

・横浜港
 今現在も日本最大規模の商港である横浜港。国連軍(韓国に派遣されたのは国連軍です)の在日兵站司令部が設置され,兵員輸送や弾薬輸送が盛んに行われました。瑞穂岸壁は弾薬集積地として重用されています。
 司令部が存在することもあり,港湾警備も厳重に行われ、根岸や子安台などには高射砲陣地が設置されています。
 軍港として機能していたため商港としては使われていませんでした。

・神戸港
 兵員輸送の中心地として機能しました。国連軍による仁川上陸作戦の拠点となり,上陸部隊の輸送が行われました。

・北九州・下関・門司の各港
 朝鮮半島各港での荷揚げ要員を多く派遣しています。船で輸送しても陸揚げ出来ないとなんの役にも立ちません。約1300名の要員を派遣していました。
 北九州市は戦場に近いこともあり、不明機が侵入し警戒警報も発令されています。なお、門司港からは朝鮮半島近海で活躍する特別掃海部隊が出港しています。

・博多港
 最も朝鮮半島に近い港です。そのため緊張状態も最高度です。兵員輸送に弾薬輸送,兵器輸送などに活用されます。市内に米軍病院があったこともあり、負傷兵の搬送も行われています。

・横須賀港
 主に弾薬輸送を担っていました。

・呉港
 国連軍の英軍部隊が駐留し、兵員輸送等を行っていました。

・佐世保港
 在韓米人の避難港として活用されました。空襲警報も発令され,港内に潜水艦が侵入しようとしました。

←見る戦時輸送船

以上のように日本の主要港は国連軍に協力していました。朝鮮戦争が特需だけで語れない歴史です。
 
 今現在も朝鮮半島は休戦状態(戦争を一時休止している)ですから、いつ始まってもおかしくはありません。朝鮮戦争当時とは異なり,現在では周辺事態法などにより米軍部隊(派遣の際は国連軍)への後方支援も明確にされています。また、現在も日本国内の主要米軍基地は国連軍の基地として指定されています。

 朝鮮戦争の際には国連軍の後方支援・兵站基地となる日本。先の朝鮮戦争では幸運にも埒外にでしたが,次回ははそうはいかないと思います。国内の主要施設(人が集まり影響を与えやすい場所。例えば東京駅、原発、病院、港湾、空港など)は潜入している北部隊に狙われると思います。
 港湾提供を含めた後方支援は、狙われても、なお韓国を救おうとするか?という日本の意志を試す事態になると思います。

自衛隊,政府,国会,国民それぞれが真剣に考えないといけない問題ですね。


・【研究ノート】朝鮮戦争と日本の港湾─国連軍への支援とその影響(防衛研究所)
http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j9_3_4.pdf

・日本の海運業と朝鮮戦争(以下当ブログ)
http://koukuujieikan.seesaa.net/article/107511274.html

・日本の海上輸送 その1
http://koukuujieikan.seesaa.net/article/123565969.html

・日本の海上輸送 その2
http://koukuujieikan.seesaa.net/article/123637448.html

・日本の海上輸送 その3
http://koukuujieikan.seesaa.net/article/123712593.html

この記事へのコメント

  • 智太郎

     トラックバックをさせて下さい・・・今日も暑いですねー?異常気象のせいか?暑いのに災害も多いですね~?。 共通するキーワード=「幕末」を含むブログ記事:我が家の実家:祖母が住んでた神奈川県横須賀市三春町って所で小泉元首相の実家から歩いて3分程の所だったんです。まぁ夏休みの旅行にはよく出かけて海水浴を楽しんだモノでした。が「坂本龍馬の嫁:お龍の墓」があったり、歴史的にも横須賀って深い歴史があったんですよね?歴史的に探索すると・・外国に対抗するため海軍の重要性が強くなり、横須賀製鉄所の建設が始まります。ここで小栗上野介忠順(おぐり・こうずけのすけ・ただまさ)らやヴェルニーの活躍により、日本の造船技術が飛躍的に上がりました。・・・トラックバックをさせて戴きとう思っております。
    2010年07月23日 18:58
  • うさぎの耳

    智太郎さま

    コメントありがとうございます。返信が遅れまして申し訳ありません。

    横須賀…今も昔も軍事上の要衝ですね。東京湾の首根っこを押さえる位置であるが故です。

    ブログを拝読いたしました。今後ともどうぞよろしくお願いします
    2010年07月26日 16:57

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