日本の海運業と朝鮮戦争


今日は朝鮮戦争と日本の海運業に関する論文を参考に記事を書いてみました。

日本の朝鮮戦争への関わりは意外と深いものだったようです。


※原文は『朝鮮戦争と日本の関わり-忘れ去られた海上輸送-』
 (石丸安蔵 防衛研究所戦史部所員)ありがとうございます。
※【  】は内の題名は管理人が付けたものです。
※原論文を確認してください。


【日本海運と朝鮮戦争の関わり】
 朝鮮戦争時に日本海運業は、国連軍の兵士や物資の朝鮮半島への輸送を担当していました。

朝鮮戦争時の特別掃海部隊の話は多くの人に知られているようですが、海運業の国連軍への協力はあまり知られていないようです。


【終戦時の日本海運】
 終戦時、日本の海運業は壊滅的打撃を受けていてまだまだ復興の途上でした。

商船の総量は開戦時の610万総トンから120万総トンへ(戦時中の増産で830万総トンに増えてはいました。)、船員の戦死率も43%に達していました。戦死率は陸海軍構成員よりも多いものでした。(陸軍20%、海軍16%)


【占領期の日本海運】
 占領当局は日本を「民主化」(管理人註:工業国から農業国への転換などを目的にしていた)する為に、休戦条約の調印が行われた9月2日以降は全船舶の移動を禁止しました。また、100総トン以上の船舶は占領当局の管理下に置かれる事になりました。


【船舶運営会と占領当局】
 占領当局内において接収した船舶の管理を行う日本商船管理局が設けられ、占領当局は日本政府に対しても管理機関の設置を要求しました。
 そこで日本政府は戦時中から存在していた船舶運営会にその機能を担わせることにしました。

 
【邦人の帰還と捕虜の送還】
 日本政府は外地にいる邦人の帰還と日本国内の捕虜の送還をする為の船舶の提供を占領当局に要請します。そこで占領当局は輸送船やLST(敵前上陸用の船)などを提供します。それらの提供船舶の運営は船舶運営会が行っていました。


【船舶運営会から商船管理委員会へ】
占領当局による商船の民間還元が司令されたことにより、商船は民間企業に戻されることになりました。そこで船舶運営会も商船管理委員会に改編しました。

米国からの貸与船はそのまま商船管理委員会の管轄下に置かれ、日本人乗員によるLST船団が残ることになりました。

船舶運営会も商船管理委員会も日本政府の一機関という面と占領当局の一機関という面の両面を持っています。


【朝鮮戦争勃発】
 朝鮮戦争当時、北東アジア地域に展開する米軍は著しく減少していたそうです。米国本土からの海上輸送も日数が掛かることから、商船管理委員会が管轄しているLST船団と民間商船による輸送船団が編成されました。


【仁川上陸作戦】
 有名な仁川上陸作戦にも日本船団が参加していたという記録が米国に残っているそうです。商船管理委員会のLST30隻、徴用された民間船舶として福寿丸、松南丸、海光丸、第15日の丸、扇洋丸、fuju maruです。


【荷役作業などの港湾労務者】
 輸送だけではなく、荷解きや検数、荷降ろしなどの作業にも日本人が参加していたという記録が残っています。


【どれくらいの日本人が参加していたのか】
・商船管理委員会管轄のLST船団 約2000人
・揚搭作業に従事した機帆船  約1300人
・仁川に派遣された港湾労務者 約1000人
・LR船員          約2000~3000人
・特別掃海艦隊        約1200人

計 約8000人

【米軍の評価】
非常に高い評価を下しています。ジョイ極東海軍司令官が報告書において「(日本のLSTがなかったら)釜山を維持することができなかったかもしれない」と記しているそうです。


 日本と朝鮮戦争の関わりは、教科書では「朝鮮特需」という言葉で括られてしまいますが、その言葉の裏には、石丸論文で書かれているような日本海運の奮闘があったわけです。

 インド洋での海上補給作戦の継続の有無が取り沙汰されていますが、日本海運業の先人たちの働きを知ることは、海上自衛隊を含む日本の海事関係者にとって多くの教訓を示してくれるのではないでしょうか。